麻耶 過去
いつからだっただろう。
髪を伸ばし、化粧を施し、スカートを履いて。
女と言い張って生活するようになったのは。
今では腰まで伸びた髪。
どんなに足掻いたって女になんかなれないのに。
それでも幼いころに叩きつけられた言葉が、いつまでたってもあたし…俺を縛る。
「男なんか要らなかったのに」
「男なんて五月蠅くて汚くて邪魔なだけなのに」
そう言って俺を殴るその人。
「あんたなんて生まれてこなければよかったのよ!!!」
どうして、そんな事きくにきけなくて。
貴方が産んだのに。
貴方が俺をこの世に産み落としたくせに。
どうして要らないなんて言うんですか?
どんなに殴られ蹴られ罵られようと、俺は執拗にそれを欲した。
生まれて一度も注がれたことのない、愛情というものを。
そんな或る日、当時の俺は思いついた。
「男だから愛してもらえない…それなら女になればいいんじゃないか」と。
そう考えると居てもたっても居れなくて、スカートを履いてみた。
なんだか足がスースーしたが、それもしばらくすると慣れた。
もしかしたら気持ち悪がられるかもしれないと考えもしたが、もう俺は藁にもすがる気持ちで女装したのだった。
母は用事でいなかった。
どんな反応が返ってくるか想像できない…否、したくなかった。
それでももしかしたらという希望が俺の心にちらついていた。
でも、俺と母は再び会うことは無かった。
母は次の日も、その次の日にも、一週間後にも帰って来なかった。
仕方なく最初の一週間は冷蔵庫にあったものをすこしずつ食べて飢えを凌いだ。
やがて一カ月経った。
棚にあったインスタントフードを食べてすごした。
一年経った。
仕舞い込んであった缶詰を食べた。
一年半経った。
母の隠していたお菓子を食べた。
一年11カ月と2週間経った。
庭になっていた果物を食べた。
二年経った。
食べるものはもう無かった。
足元がふらついて、もう立つのもままならなかった。
水があるだけましだったが、それでも視界がぼやけて頭がうまく回らなかった。
母はもう帰って来ない。
そんなこと分かっていた。
でも信じられなくて、信じたくなくて。
髪が肩まで伸びていた。邪魔だったので結んだ。
二年と三日経った。
普通なら学校に二年も来ないなら誰かが様子を見にくるだろうが、俺は行かせてもらえてなかったので、誰かが来ることはなかった。
水を飲もうと立ち上がった時だった。
「ああ…っ」
足からがくんと力が抜けて、俺は膝から崩れ落ちた。
(もう駄目なんだな、あたし。)
そんな風に思った。
「母さん…っ。帰ってきてよ…」
はらり、涙がこぼれた。
「おなかがすいたよ…」
力なくそう呟いた時だった。
バン、扉の開けられる音がして俺はハッと顔をあげる。
「かあさ…」
「ああ、やっぱり居ました…無事で何よりです。」
そこに居たのは俺が望んでいた人じゃなかった。
修道服に身を包んだ初老の女性。
首元にはくすんだ金色のロザリオ。
柔らかな頬笑みを湛えるその女性は俺をそっと抱き起した。
彼女が現れたことが何より母が帰って来ないということを示しているようで何だかとても
…あほらしくなった。
続きます